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2011年7月29日金曜日

薩摩いろは歌 す

 「少しきを足れりとも知れ満ちぬれば月もほどなき十六夜のそら」

「多少少なくても、満足することを覚えなさい。満月も翌日には少し欠けた十六夜の月になるではないか。」

人間「足るを知る」ことが大事です。人間の欲望は際限がなく、満足することを知らなければ、満たされた欲望は、さらなる欲望を呼び起こし、満足することはありません。

しかし、実は欲望は完全に満たされなくても、自分が満足する気持ちを持てば、幸福感を味わうことが出来るのです。

人は大きな欲望を満たすことで幸福感を感じると考えがちですが、私は小さくても幸福感を多く感じた人が本当の幸せ者だと思います。

そして、小さな幸福感は、自分の心の持ち方で感じ方が大きく変わるのだと思います。例えば、宝くじで百万円当たっても幸福感を感じない人もいれば、昼食においしいご飯を食べただけで幸福感を味わう人もいます。

人は、小さな幸福感を感じ続けると、心が豊かになり、さらに幸福感が高まるだろうと思います。一方、幸福感を味わえない人は、常に渇望感に苛まれ、いつまでたっても幸福感を得られず、自分は不幸だと思い始めます。

きっと、同じ人生を歩んでも、前者は幸せな一生だったと満足して人生を終えますが、後者はいいことがない不幸な人生だったと人生を終えることになるでしょう。

私は同じ人生なら、前者のように幸福感を味わう人生を送りたいと思います。

2011年7月27日水曜日

薩摩いろは歌 せ

「善に移り過れるをば改めよ義不義は生まれつかぬものなり」

「悪の道ではなく、善の道を進み、これまでの過ちを認め、改心せよ。義不義は生まれつきのものではない。」

もし、自分が悪いことをしたと思ったら、直ちに過ちを改心し、善い行いをするように努めるべきです。義不義というのは、生まれつきのものではなく、その人の心の持ち様でどちらにもなるのです。

どんなに悪いことをしてきた人でも、心から反省し、自分の行動を悔い改めようとする人は、やり直しがきくと思います。

その一方、自分はどうしようもない人間なので、悪いことを続けていくのだと、あきらめたような人には、良いことは何も起こらないと思います。

人は、心の持ち様で如何様にも変わることが出来るのです。心の底から思ったことは必ず実現可能だと思います。

私は、もし実現できないのなら、それは自分の思いが足りないか、努力が足りないためだと考えるようにしています。

人は弱いもので、自分の中で一生懸命努力した思いがあるのに、実現できないと、これはできないことなのだとあきらめてしまいがちです。

しかし、世の中の大事を為した人たちの話を聞くと、どんな苦境に立たされようが、あきらめずに努力し続けた人が大事を為したのだと感じます。

真の苦境に立たされた時に自分の考え方が、今後の人生に大きく影響を与えることを意識して、頑張っていきたいと思います

2011年7月25日月曜日

薩摩いろは歌 も

「もろもろの国や所の政道は人に先づよく教へ習はせ」

「諸所、国や地方の政治を行う上では、法律や規律について、人民に周知徹底し、教育することが重要である。」

政治を行う上で、法律や条例をはじめ、各種規則を制定することは重要であります。規則のない世界では、多くの場合無法地帯となり、治安は悪くなります。

しかし、規則を制定するのは、制定することが目的ではなく、人々が平和に暮らせる世にすることが目的であり、このためには、規則の内容と意図を人々に周知徹底し、教育することが重要となってきます。

規則を制定すると、本来の制定目的を蔑ろにし、文面だけの意味で裁きを下す危険性があります。政治を行うものは、このことを熟慮し、規則制定の意義を周知徹底することに精力を費やすべきです。

例えば、道路交通法は、急速に増加する自動車から弱者である歩行者等を守ることが目的だと思います。交差点での一旦停止で、タイヤが止まったか止まらなかったかの違反者を検挙するのが目的ではなく、全く減速することなく、交差点に突っ込み、大事故になるような車を検挙することが目的だと思います。

規則の解釈のされ方は、環境や時代背景などで大きく変化していきます。文字面だけで議論するのではなく、規則の制定目的に則った判断が重要だと思います。

現在、裁判員制度が採用されていますが、この目的の一つは、裁判所の判決と国民感情に開きがあるとして、国民感情を裁判判決に反映させることがあります。

裁判所は、厳格に法を解釈して、法に則って判決を出そうとします。しかし、法は完全ではありません。国民目線では、おかしいという判決がいくつかありました。

このようなギャップは、法の解釈が制定目的から判断するよりも、文章の意味から判断されたことが大きな原因の一つだと思います。

裁判所の常識が、国民の常識から離れていってしまった結果だと思います。裁判員制度は始まったばかりで、まだ制度として熟成していませんが、上記のようなギャップを埋めてくれる一つの解決手段だと思います。

世の中をさらに良くするための試みとして、温かく見守っていきたいと思います。

2011年7月22日金曜日

薩摩いろは歌 ひ

 「ひとり身あはれと思へ物毎に民にはゆるすこころあるべし」

「身寄りのない老人や孤児などは可哀想だと思いなさい。人民に対しては寛大な心で接するべきだ。」

身寄りのない老人や孤児のように社会的弱者に対しては、慈悲を持って寛大な心で接するべきです。いつの世も社会的弱者は存在します。

政治を行うものは、常にこのような社会的弱者に対して、寛大な心を持って接する必要があります。社会的弱者は自分自身で生きていくことが困難であり、手助けが必要なのです。

現在の東日本大地震の被災者などは、まさにこの社会的弱者だと思います。自然災害で大切な家族、財産を失い、自分自身では立ち直れない方々が多くいらっしゃると思います。

でも、わずかでも助けの手を差し伸べるだけで立ち直れる方々もたくさんいるのです。自分自身だけでは、困難な将来も、多くの人々のわずかな助けで多くの人が救われるのだと思います。

上の歌のように、まずは政府が率先して被災者を救済し、我々民間人は、僅かでも自分のできることで、継続的に被災者に協力していくことで、復旧は進んでいくのだと思います。

いまこそ、共存という考え方が重要な時期だと思います。自分にできることを良く考えていきたいと思います。

2011年7月20日水曜日

薩摩いろは歌 ゑ

「酔える世をさましもやらでさかづきに無明の酒をかさぬるは憂し」

「深酒で酔った人が酔いを覚ますことなく、さらに盃を重ねていくように、混沌とした世の中で、先を見通すことなく、酔いを深めるような行為を重ねていくことは憂うべき状態である。」

深酒で酔いつぶれた人は、前後不覚となり、先の見通しなど考えずに、ただ盃を重ね、さらに酔いを深めていってしまいます。

同様に、混沌とした世の中にあっても、先の見通しをもって、対策を打っていかないと、混沌とした世の中がさらに混沌とし、混迷を深めてしまいます。

自分が泥酔していると、自分が泥酔していることを自覚できなくなります。酔っ払いが、自分は酔っていないという場面には良く出くわします。

この状態では、自分は素面のつもりなので正しい判断ができると勘違いしてしまいます。そのため、もう限界を超えているのにさらに酒を飲んで状況を悪くすることがままあります。

しかし、酔いがさめ、昨夜の自分の行動を思い出すと、なんと愚かなことをしてしまったのだろうと反省します。

このように、混沌とした世の中においては、正しい判断が出来ず、誤った道を突き進んでいく危険性を孕んでいます。

このような混沌とした状況でこそ、状況を客観的に分析し、先の見通しを立てて対処する能力がリーダーには求められます。

このような能力は一朝一夕には備わりませんが、常に自分を客観的に見る習慣を続けることで、あらゆる場面で客観的判断を下せるようになるのだと考えています。

常に客観的な自分、世の中の自分を見られるように努力していきたいと思います。

2011年7月15日金曜日

薩摩いろは歌 し

「舌だにも歯のこはきをば知るものを人は心のなからましやは」

「舌でさえ、歯の怖さを知っているのに、人は他人の心を理解せずに善いものだろうか?(いや善いわけがない。)」

常に歯と交わっている舌は、歯が硬く、強く、恐ろしいものであることを良く理解しています。では、人間は、いつも交わっている他人の心情を理解できなくて善いのでしょうか?いや善いわけはなく、理解すべきであります。

人は人生を潤滑に生き抜いていくために、自分と接する人たちの心情を良く汲み取って生活する必要があります。

世の中は善い人ばかりでもないし、自分と同じような考えの人ばかりでもありません。そうであれば、自分と接する人達が、どのような考えのもとに生きているのか理解した方が、スムーズに生活できます。

自分と接する人は、自分自身の利益のみを考える人なのか?他人の利益のために自分自身を投げ打つことが出来る人なのか?

自分に近寄ってきて褒めるのは、自分のことを本当に尊敬していってくれているのか?下心があって行っているのか?

自分に嫌なことを言ってくる人は、自分のことが嫌いで言っているのか?自分の将来を心配して忠告してくれているのか?

表面ばかりを見るのではなく、相手の真意を汲み取ることが重要です。人はとかく一面的なものの見方しかできないものです。

できるだけ、客観的に人を見る目を養っていきたいと思います。

2011年7月13日水曜日

薩摩いろは歌 み

 「道にただ身をば捨てんと思ひとれかならず天のたすけあるべし」

「人の道を全うするためなら、我が身を投げ打つ覚悟で事に当たりなさい。そうすれば必ず天の助けがある。」

人として正しい道を進むなら、どんな困難、障壁があろうと、自分の命を懸けて突き進むべきです。その道が正しければ、必ず天、あるいは周囲からの助けがあるのです。

奇跡という言葉があります。本来ありえないような事象が起こった時に、奇跡が起こったといいます。しかし、奇跡は偶然に起こるものではありません。

人には、しがらみというものがあります。このしがらみのために、人として正しい道を踏み外すことがあります。しがらみは大きな障壁となることがあります。

しかし、このしがらみにも負けず、人として正しい道を進めば、多くの場合、さらなる困難、障壁が待ち受けています。この困難、障壁を乗り越えるのは並大抵のことではありません。

このような状況に陥った時、正しい道を進んでいれば奇跡は起きるのです。解決不可能と思われた困難、障壁が解決したりするのです。

でも、これは本当は奇跡でも何でもないのです。正しい道を進んできた人の強い意志が、困難、障壁を解決したのです。

傍から見れば、奇跡と思えることも、正しい道を、強い意志で進んできた人にとっては、必然であったりするのです。

大事なことは、客観的に見て人として正しい道を貫けば、必ず道は拓けるということです。

2011年7月11日月曜日

薩摩いろは歌 め

 「めぐりては我が身にこそは事へけれ先祖のまつり忠孝の道」

「物事は何事も、巡り巡って自分に還ってくるものである。先祖を敬い祀り、忠孝の道を歩む人は、自分の子孫も自分のことを敬い祀ってくれるのである。」

この歌は、「情けは他人のためならず」と同意の歌だと思います。他人に情けをかけるのは、その人のためだけに情けをかけているのではなく、巡り巡って自分に還ってくる、すなわち、自分に情けをかけているのです。

先祖、祖父母、父母を尊敬し愛する人は、その背中を見て育った子供たちから尊敬され、愛されることになります。

逆に先祖、祖父母、父母を粗末に扱うような人は、同様に自分の子供たちから粗末な扱いを受けることになるでしょう。

この世の中は、自分の振る舞いが、巡り巡って、必ず自分のもとに還ってくるようにできているのです。

確かに、短いスパンで考えれば、自分の振る舞いが自分に還ってくることは実感できないでしょう。しかし、長いスパンで考えれば、必ず自分に還ってくることが理解できます。

この考え方に則れば、誰かが見ていようが、見ていまいが、善い行いをし続ければ、必ず、自分に善いことが起こるといえます。

この考え方をベースに生きていけば、人の目を気にすることなく、善い行いをすることが出来、最終的には幸福な人生を歩むことが出来るのではないでしょうか?

2011年7月8日金曜日

薩摩いろは歌 ゆ

「弓を得て失ふことも大将の心一つの手をばはなれず」

「弓の道を究めても、戦で負けることがあるのは、大将の心の持ち方で決まるのである。」

どんなに大将自身が武を究めて、兵士たちを訓練して、優れた軍隊を作り上げても、大将が常に戦況を分析して、兵士たちの士気を観察して、その時に最も適した作戦を適用しなければ戦に負けてしまいます。

勝負の行方は、大将の心の持ち方、考え方で決まるといっても過言ではありません。大将は、時々刻々と変わる戦況を常に把握するとともに、自分の兵士の士気や疲弊具合も把握する必要があります。

どんなに戦況が良くても、兵士が疲弊し、士気が上がらない時に、突撃命令を出しても、兵士は思い通りに戦ってくれません。

逆にどんなに戦況が悪くても、兵士が疲弊していても、大将を信じ、兵士たちの士気が高ければ、戦況をひっくり返すほどの働きをしてくれるときがあります。

大将たる者、常日頃から兵士から尊敬されるような振る舞いを心掛け、自分のためではなく、世のため、人のために尽くす努力を怠ってはいけないと感じます。

なかなかできることではありませんが、常に頭に入れておきたい事柄です。

2011年7月6日水曜日

薩摩いろは歌 き

 「聞くことも又見ることも心がら皆まよひなりみな悟りなり」

「聞くもの、見るもの全て、心の持ち様で変わる。場合によっては迷いになるし、場合によっては悟りにもなる。」

人は心の持ち方次第で、耳で聞こえるものや目で見えるものの受け取りが大きく変わってきます。心の持ち方次第では、聞いたことや見たものが迷いの種になる場合もあれば、悟りを開いたように、目の前が明るくなる場合もあります。

常に問題意識を持って、目の前の出来事を注意深く見ている人は、見聞きしたことが悟りのもとになるでしょうし、漠然と生きている人にとっては、見聞きしたことが迷いの種になるでしょう。

はじめは、常に問題意識をもって生活することが苦と感じるでしょう。心の休まる暇がないと感じるでしょう。

しかし、これは習慣化されると苦にもならず、自然とできるようになるものです。常に問題意識をもって生活できるようになれば、毎日が新しい発見との出会いになり、人生が豊かになります。

常日頃から、問題意識を持って、新たな発見と出会えるように心掛けていきたいと思います。

2011年7月4日月曜日

薩摩いろは歌 さ

「酒も水流れも酒となるぞかしただ情あれ君がことの葉」

「場合によっては、酒も水のように感じるし、川の流れが酒と感じる場合もある。君主たる者、部下にかける言葉には常に情けをかけよ」

普通は、酒を振る舞えば、気持ちも高ぶり、士気が上がるものでありますが、酒を与えても水を飲むがごとく、しらける場合があります。

逆に、酒の代わりに水を与えても、気持ちが高揚し、士気が上がる場合があります。この差は、与えるものの与え方の差によるものであります。

君主が士気を上げるために、酒を振る舞ったとしても、部下のこと、国のことを思い、情け深き心で振る舞えば、部下たちの士気は上がり、気持ちも高ぶってくるでしょう。

しかし、わが身のことのみを思い、部下や国のことを顧みず、ただ士気を上げるために酒を振る舞っても、部下たちの士気は上がらず、ただ水を飲んでいるがごとく冷静でしょう。

逆に、君主が部下のこと国のことを思い、情け深く接すれば、単なる水を与えても、一流のお酒のように感じ、士気も上がります。

つまり、上司の日頃の振る舞いによって、同じ行為を行っても、部下の感じ方は異なるということになります。

リーダーたる者、自分の保身を思うのではなく、部下や会社、社会のことを思い、大局観に立って考えなければ、人はついてこないということだと思います。

一人でも二人でも部下のいる上司は、常にこのことを頭の片隅に入れておく必要があると思います。

2011年7月1日金曜日

薩摩いろは歌 あ

「あきらけき目も呉竹のこの世より迷はばいかに後のやみぢは」

「明るく見通しのきくこの世で迷っていたら、死後の暗闇ではどうなることか」

煩悩の多いこの世では、迷い苦しむこともあるでしょう。しかし、来世は暗闇で、先の見通しは全く利かず、もっと迷い苦しむことになるかもしれません。

人は、生前から仏教に励み、悟りを開く努力をした方が良いという、仏教上の教えに沿った戒めです。

暗闇で一寸先もわからないようなところで、迷わず、自分の道を進むことが出来るように、生前から訓練していれば、日の光がいっぱいで、先を見通すことのできる現世で迷い苦しむことはなくなるといえます。

人は常に将来に備えて、日々精進することが大事です。逆にいうと、日々精進し、将来に備えておけば、何か大事があっても慌てることなく、冷静に対処できるようになるといえます。

目先のことばかりで判断するのではなく、将来を見据えて、日々精進していきたいと思います。

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