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2011年10月26日水曜日

客家の教え 泥の菩薩が...

 「泥の菩薩が河を渡るなり」

ここでいう泥の菩薩とは、自分のことは棚に上げて、人に偉そうなことを言う小人のことです。

つまり、小人が自分のことを棚に上げて、他人に説教したり、偉そうなことを言うと自分の身を滅ぼしてしまうことを戒めています。

世の中には、自分のことは棚に上げて、自分では全くできていないような素晴らしい行いを他人に求める人がいます。

しかし、自分でできていないことを要求されても、他人は聞く耳を持ちません。

他人は偉そうなことをいう人、自分に説教するような人の日頃の行いを見ています。

同時に人は取るに足らない小人のいうことを聞くことはありません。

日頃から自分の行いを律し、他人から尊敬されるような人の意見は、どんなに厳しい意見であっても聞き入れます。

このことは、自分の身近の人に当てはめて考えれば、すぐ理解できると思います。

何にでも首を突っ込んでくるが、自分では何もできない人が、偉そうに説教しても、誰もその人の話は、真剣に聞かないと思います。

しかし、一方で日頃自分が尊敬している人が、自分の意見と異なることを言った場合、一度自分の考えを検証すると思います。

同じことを言っても、言う人によって相手の捉えられ方は大きく変わります。

自分が物を言う場合は、まず自分のことを律してから言うように心掛けたいと思います。

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