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2011年11月14日月曜日

客家の教え 理は声の高きところに...

「理は声の高きところに在らざるなり」

多くの場合、議論している場で大声を張り上げている方に非があるようです。

つまり、自分の非を隠すために大声で相手を威嚇することが多いからです。

この教えは必ずしも合っているようには思えませんが、議論の場で冷静に対応している人と感情のみで非論理的な主張する人を見比べると、冷静な人の方に理があるような気がします。

人は感極まってくるとどうしても感情的になってしまいます。

しかし、感情に流されると冷静な判断が出来なくなり、間違った考え方でも、自分が正しいと錯覚しがちです。

議論の場においては、自分を客観的に観察できる冷静さが重要だと思います。

常に自分の主張は誤っていないか、相手の主張に対して、今の自分の考え方意外に考え方はないのかと自問し続ける客観性です。

自分の考えに信念を持っている人は信念と頑固さを間違い、自分の過ちを指摘されても受け入れられない場合があります。

しかし、他人から間違いを指摘されたときに、客観的に自分が間違っているのか、指摘した人が間違っているのか判断する必要があります。

もし、自分が間違っているなら、素直に謝罪し、自分の考え方を改める必要があると思います。

この自分の考えを改めるということは信念を曲げることではなく、自分の信念を改良改善していると考えるべきだと思います。

自分の信念を貫きつつ、自分の間違いを認めていくことは非常に困難ではありますが、人生を有意義に生きていくためには必要な資質だと思います。

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