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2011年4月27日水曜日

薩摩いろは歌 る

 「流通すと貴人や君が物語りはじめて聞ける顔もちぞよき」

「目上の人が自分に話を聞かせるときは、その話を知っていても、初めて聞いたような顔で聞いた方が良い。」

目上の人が、自分のことを思って、色々話を聞かせてくれるときは、その話の内容を知っていても、あたかも、初めて聞いたような顔で聞いた方が、自分のためであることを教えています。

決して、その話は知っていると、口に出して言ったり、顔に出してはいけないことを戒めています。目上の人には一日の長があります。

色々な話を聞かせてくれるのは、自分のことを思ってのことであります。例え、聞かせてくれた話が、自分の知っている内容であっても、初めて聞くように真剣に聞くことが重要です。

目上の人は、何らかの目的を持って、あえて知っている話を聞かせてくれるときがあります。そのようなとき、その話は知っていますとか、あからさまに、そんな話は知っていますというような顔つきで聞いていると、それから後、目上の人は重要な話を聞かせてくれなくなるかもしれません。

目上の人を尊敬するのは、儒教の教えが取り入れられているのだと思います。先人の知恵は、奥深いものが多いものです。

目上の人の話は、真摯に受け止め、表面だけの知識でしたり顔をするのは、自分のためにならないことを肝に銘じたいものです。

2011年4月25日月曜日

薩摩いろは歌 ぬ

 「ぬす人はよそより入ると思うかや耳目の門に戸ざしよくせよ」

「盗人は外から入ってくると思いがちだが、真の盗人は、自分の耳や目を通して入ってきて、心を盗むものである。耳目(心)の戸締りをしっかりしなさい。」

泥棒は物理的に家の中に入ってきてものを盗むと考えますが、真の泥棒とは、様々な誘惑で心を盗むものであるという、深い教えです。

世の中の様々な誘惑によって、心を奪われないようにということをうまく表現しています。最終的には、世の中の多くの誘惑に負けないように、心の鍛錬を行いなさいという教えになっています。

世の中で生活し、物事がうまくいき始めると、自由になるお金も増えていきます。生活レベルも向上し、周りからの魅力的な誘惑も増えていきます。

このような、誘惑に心奪われて、散在していくと、身ぐるみはがされ何も残らなくなってしまいます。どんなに裕福になっても誘惑に打ち勝つ強い心を身に着けたいものです。

2011年4月22日金曜日

薩摩いろは歌 り

「理も法も立たぬ世ぞとてひきやすき心の駒の行くにまかすな」

「道理も通らず、法も守られない世の中だからと言って、安易に自分の欲求のままに行動を起こしてはならない。」

道理も通らず、法も守られないような乱世にあっても、自分自身は身を潔白にし、世の中と同じように、易きに流れやすい人間の欲望のままに行動してはいけません。

とかく乱世では、人間の理性よりも欲望が打ち勝ち、道理も通らなければ、法も守られない、無法状態になってしまいがちです。

だからといって、自分自身も同様に欲望のままに行動してはいけないことを戒めています。人間は、どんな世の中であっても、自分の良心に従い行動すべきで、安易に自分の欲望に任せてはいけないということを端的に表しています。

上記は、戦国時代のような乱世を考えて作られた歌だと思いますが、バブル期にも、相通じるものがあると思います。

当時は、濡れ手で粟のように、株や土地で資産を増やすことができました。しかし、安易に資産を膨らますことに注力し続けたことで、バブル崩壊期には大きな損害を抱える人が多く発生しました。

楽してお金を稼ごうという、欲望に負けず、額に汗して、コツコツ働いていた人にとっては、バブルの崩壊も関係ありませんでした。

常に何が正しいかを判断基準にて、清く正しく行動していきたいと思います。

2011年4月20日水曜日

薩摩いろは歌 ち

「知恵能は身につきぬれど荷にならず人はおもんじはずるものなり」

「知恵や芸能は身に着けても荷物のように邪魔になるよなものではない。知恵や芸能を多く身に着けた人のことを、世の中の人は尊敬し、かつ、自分のことを恥ずかしく思うものである。」

勉強や芸事に励み、技術を多く身に着けても、荷物のように邪魔になるものではありません。芸は身を助くとも言うとおり、技術を身に着けることにより、自分自身を高めることができます。

さらに、勉強や芸事に励み、技術を身に着けた人を見て、、世の中の人は、技術を身に着けた人を尊敬し、また、自分の未熟さを恥じ入ります。そして、同様に勉強や芸事に励み技術を身に着けることになります。

一人の努力家が、周りにも影響を与えて、切磋琢磨するという、好循環を生み出すことを端的に表しています。

努力は決して裏切らないとも言います。日々精進し、技術を身につければ、周りの人からの尊敬も集められ、さらには自分自身が成長できるのです。自分自身、肝に銘じて頑張りたいと思います。

2011年4月18日月曜日

薩摩いろは歌 と

「科ありて人をきるとも軽くすないかす刀もただ一つなり」

「罪を犯した人を切るときも、軽々しく切ってはいけない。罪人を生かすも殺すも、君主次第である。」

罪を犯したからと言って、軽々しく死刑を実行してはいけません。罪人の状況を良く理解して、大きな心で許すことも、あるいは、あまりにもひどい振る舞いを断罪して死刑を実行するのも、君主の心ひとつで決まります。

人は過ちを犯してしまうことがあります。その過ちは、ほんの出来心で犯した過ちか、極悪非道の心で犯した過ちかで、対処の方法は変わるはずです。

一度の過ちだけで断罪しては、人は育ちません。罪を犯した背景まで良く吟味した上で判断し、刑の重さを決める必要があると思います。

人は恩に対しては、誠で応答してくれます。人を育てる上では、罰ばかりでは駄目だと思います。大きな心で許すことも必要です。

万が一、恩を仇で返すような人物であれば、その時断罪すればよいと思います。権力を持つ者は常に思慮深く、判断しなければならないことを端的に表していると思います。

2011年4月15日金曜日

薩摩いろは歌 へ

 「下手ぞとて我とゆるすな稽古だにつもればちりも山とことの葉」

「下手だからといって、努力することを怠ってはいけない。稽古を積めば誰でも上達する。ちりも積もれば山となるということわざもあるではないか。」

とかく人は苦手なものから逃げ出したいと思ってしまいます。しかし、苦手だからといって、努力を怠ってしまえば、絶対に上達はしません。

日々稽古をすれば、少しずつでも上達していくのです。そして、いつかはちりが積もって山となるように、その道の達人になれるのです。

私は、前の会社で材料開発という、ちょっと変わった仕事をしていました。様々な粉末を混合して、新たな材料を開発していました。

ITに関していえば、全く知識がありませんでした。ウェブサイトがどのようにして作られているかも知りませんでした。

しかし、会社を辞めて、毎日HTMLやCSSについて勉強しました。IT関連の仕事を始めるには、まだまだ十分な知識ではありませんが、以前の私からすれば、大分成長したと思います。

私は42歳で、前の会社を辞めましたが、84歳まで生きれば、あと42年あると考えました。42年間一生懸命頑張れば、一つのことを成し遂げられると思っています。

これからも、新しいことにチャレンジして、努力を積み重ね、いつかは大きな山を築きたいと思います。

2011年4月13日水曜日

薩摩いろは歌 ほ

「ほとけ神他にましまさず人よりも心に恥ぢよ天地よく知る」

「仏様や神様は他にいるのではない。心の中にいるのです。他人に対して恥じるのではなく、自分の心(良心)に恥じなさい。天地神仏は全てを知っているのです。」

自分の恥ずかしい振る舞いは、他人が見ているから恥ずかしいのではありません。自分の良心に照らし合わせて判断しなさい。神様仏様は自分の心の中にいて、全てお見通しなのだから。

とかく人は周りの目を気にして、事の善悪を判断しがちであります。しかし、何が善なのかは、周りの人が決めるのではありません。人として何が正しいか、自分の良心に従って判断するものであります。

自分の悪い振る舞いを周りの人が見ていないからと言って、正当化するのは間違っています。自分の悪い振る舞いは、自分が良くわかっているはずです。自分の良心を判断基準にしましょう。

物事の善悪を判断するときに、自分の良心を基準にするのですが、自分だけの判断では、自分に甘い判断をしてしまう可能性があります。

この時考えなければならないのは、その判断は自分のために行ったか、周りの人のためを思って判断したかで、良心に基づいたか、エゴに基づいたかがわかると思います。

他人に優しく、自分に厳しい人間でありたいと思います。

2011年4月11日月曜日

薩摩いろは歌 に

 「似たるこそ友としよけれ交らばわれにます人おとなしき人」

「友を選ぶときは、似たような人を選びがちだが、自分を向上させるなら、自分より優れた人と交友を持つ方が良い。」

昔から「類は友を呼ぶ」というように、似た者同士は友達になりやすいものです。また、自ずと自分と同じレベルの人たちが集まりやすい傾向があるようです。

しかし、私の経験からも、人は友人の影響を受けやすいものです。逆に言うと、自分よりレベルの高い人と付き合うと、周りの友人が自分のレベルを引き上げてくれます。

悪い友達と付き合うと、自分もどんどん転げ落ちていきます。どうせ付き合うなら、自分よりちょっとレベルの高い人を選んだ方が良いです。

あまりにも、レベルが違いすぎると、話についていけない上、自分が駄目な人間のように思え、卑屈になってしまいます。

自分よりちょっとレベルが上の人と付き合い、自分のレベルが上がったら、また新たに、レベルの高い友人を作る。この繰り返しにより、自分のレベルが上がっていきます。

しかし、自分のことばかりを考えていてはいけません。自分が周りの人に引き上げてもらったように、自分も周りの人を引き上げることを忘れてはいけません。

人には、得意分野不得意分野があります。同じ友人でも、自分よりレベルの高い分野と低い分野を持っています。それぞれを補ってもよいですし、全く違う友人を引き上げてもよいです。

人は常に持ちつ持たれつの関係で、自分だけが得しようという考えは身の破滅を導きます。良い友人を持って、自分のレベルを上げるとともに、周りへの気配りも忘れないようにしたいものです。

2011年4月8日金曜日

薩摩いろは歌 は

「はかなくも明日の命をたのむかな今日も今日もと学びをばせで」

「何が起こるかわからない明日を頼りにして、今日は勉強しないというのは愚かなことである。」

明日こそは、勉強するから、今日は遊ぼうということを繰り返していたら、時間はすぐに経過してしまいます。まさに時は金なりをうまく表現しています。

人にとって、毎日の学びが重要であります。昨日よりは今日、今日よりは明日と毎日少しずつでも成長することが、大きなことを成し遂げる唯一の方法なのだと思います。

とかく人は一攫千金を夢見ます。しかし、世の中で成功している人に、一攫千金で成功した人はいません。一攫千金を手に人の多くは、その後駄目になっていきます。

現在、成功している人の多くは、将来の大きな夢を心に描き続けながら、日々の努力を続け、着実に成長していった方々です。

日々の地道な努力こそが大成功のための唯一の方法だと、心に刻み、今後とも励んでいきたいと思います。

2011年4月6日水曜日

薩摩いろは歌 ろ

 「楼の上もはにふの小屋も住む人の心にこそはたかきいやしき」

「立派な大きな屋敷に住もうが、粗末な小屋に住もうが、人の真価は決まらない。人の貴賤はその人の心の持ち方で決まるのである。」

どんなに立派な屋敷に住んでいても、心が賤しい人は、人としてだめである。たとえ、どんなに粗末な小屋に住んでいても、心の美しい人が本当に素晴らしい人であると教えています。

人間は、お金を持って、素晴らしい屋敷に住むようになり、欲しい物は何でも手に入り、周りの人々が何でも言うことを聞くようになると慢心し、自分が偉くなったような錯覚を起こします。

しかしそのような人は真に尊敬されることはありません。たとえ貧乏で質素な暮らしをしていても、行いが正しく、世のため人のために振る舞う人こそが真に尊敬に値する人であります。

世の中には、自分が貧しくても、常に他人のことを考える、心美しい人がいます。今回の大震災においても、自分を犠牲にして他人を助けた方がいらっしゃいます。

さらに世の中には、富と名声を手に入れても、謙虚さを忘れず、世のため人のために働く方々もいらっしゃいます。

一度富と名声あるいは権力を手に入れた人が、謙虚で居続けることは、非常に困難であると思います。しかし、真の賢者はどんな環境においても、常に高い志を持っているのだと思います。

この歌の真意を心にとどめて、今度の活動に生かしていきたいと思います。

2011年4月4日月曜日

薩摩いろは歌 い

 「いにしへの道を聞きても唱へてもわが行ひにせずばかひなし」

「昔の立派な教えを聞いても、唱えてみても、自ら実行しなければ、意味がない。」

耳学問だけでは役に立たず、実践してこそ意味があるということを端的に表しています。

薩摩いろは歌の最も有名な歌の一つで、薩摩藩教学の金科玉条といわれる代表的な歌になります。この教えは、全てに通じる大変重要な教えです。

何事も、知っているだけ、頭の中で考えているだけではだめで、学んだこと、考えたことを実践して初めて役に立つのだということを教えてくれます。

これは、起業するときに大変参考になりました。起業する際、色々なことを考え、「あれができそうだ」、「これができそうだ」、あるいは、「ああなったらどうしよう」、「こうなったらどうしよう」と期待と不安が頭の中を渦巻きました。

しかし、頭の中で考えるだけでは物事は進まず、実践して失敗したり、成功したりすることで、成長するのだと考えるようになりました。

脱サラし、起業することは、結構勇気が要りました。しかし、この歌を参考に一歩を踏み出しました。まさに、私にとっても金科玉条の歌です。

2011年4月1日金曜日

はじめまして

はじめまして。株式会社エモダカフの代表取締役、福留武郎と申します。2010年7月に足かけ18年勤めていた会社を退職し、2011年4月に株式会社エモダカフを設立しました。

事業内容は、主にIT関連の仕事を行っています。現在は、ウェブサイトの製作運営を主に取り組んでいます。

脱サラして、会社を経営していく上で、ベースとなる考え方が必要です。会社のウェブサイトには、この基本的考え方をベースに基本理念を考えました。

この基本的考え方のベースを作る際に参考にした事柄を、このブログでは紹介していきたいと思います。

まず、紹介するのは、薩摩に古くから伝わる、島津日新公のいろは歌です。このいろは歌には、現代に通じる教えが入っています。

鹿児島県人であれば多く方が御存知とは思います。このブログでは、この薩摩のいろは歌を紹介しながら、私の考えを述べていきたいと思います。

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