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2011年11月30日水曜日

客家の教え まとめ

           

前回まで、客家の教え18の金言客家の格言として、人生やビジネスに参考になる教えを紹介してきました。

客家の教えは、実用的で深い意味を持つものが多かったと思います。

客家の教えはビジネスで成功を収めるだけでなく、人生を楽しく豊かに過ごす参考にもなると思います。

しかし、示唆に富む客家の教えも間違った解釈で実行すると、ビジネスでの成功も人生における成功も手に入れることはできないと思います。

特に客家の教えで感じたことは、人を疑ってかかるという教えが多いということです。

これは、客家の置かれた環境がそうさせたのですが、これをそのまま自分に当てはめて、人を疑ってばかりいては、ビジネスでも人生でも成功するわけがありません。

客家の人々は、初対面の人などには、表面的な笑顔で丁重に対応しますが、心の底では信用できる人間か、そうでない人間かを見極めようとします。

そして、信用に値しない人には、協力もしないし、パートナーとなることもありません。

しかし、一度信用を勝ち取ると、客家の人々はその人のために命を投げ打ってでも協力してくれるのです。

この部分が非常に重要で、人は全てを信用しきってはいけないが、信用に値すると判断したら、何よりも固い結束が生まれるということです。

このような固い結束こそが、ビジネスの成功をもたらし、人生を楽しく豊かにしてくれるのだと思います。

人を疑うことで始まる人間関係ですが、最後は固い結束で結ばれる人間関係で終わることが前提だと思います。

この部分を履き違えないように気を付けて、客家の教えをさらに勉強していきたいと思います。

2011年11月28日月曜日

客家の格言

 これまで多くの客家の教えについて紹介してきましたが、これまでに一回まとめた客家の教え18の金言以降の教えについて、客家の格言としてまとめておきたいと思います。


 それぞれの教え(格言)をクリックすると、以前解説した内容や私の解釈を見ることが出来ます。


事を起こす前に、まず人間であれ


早起きしないと一日が台無しになる。早く学ばないと人生が台無しになる


人は低きに流されがちだが、高きを目指さなければいけない


読書こそ、唯一の道


先祖の畑は売っても良いが、先祖の教えは失うな


教育こそが最大の貢献


右隣の人に助けられたら、今度は左隣の人を助けよ


信じても信じ込むな


口添えしても金添えするな


百聞は一見にしかず、されど百見は一行にしかず


うまい利益を得たところには二度と行くな


山には真っすぐな木はない、世の中には真っすぐな人はいない


苦労して稼ぎ、楽しく金を使う


人を迎えられぬ者は人に迎えられぬ


泥の菩薩が河を渡るなり


山中に虎無ければ、犬も王を称す


手面は手背を見られず


笑いは顔より離れざるも、心の内に刀を蔵す


人の善きは人に欺かれ、馬の善きは人に乗られる


兎は巣穴のまわりの草を食べず


行を隔つるは山を隔つるがごとし


にわかに富むも家を造るなかれ、にわかに窮すも粥を食すなかれ


理は声の高きところに在らざるなり


狼多くして人を食い、人多くして狼を食う


人は名の出るを恐れ、豚は太るを恐れよ


富は足るを知るにあり、貴は退くを求めるにあり


七十は瓦上の霜にして、八十は風前の灯なり

客家の教えには、人生やビジネスにおいて大変参考になるものがあります。

客家の教えについて学ぶことで、自分の人生やビジネスを見直す良い機会になると思います。

皆さんの参考になれば幸いです。


     

2011年11月25日金曜日

客家の教え 七十は瓦上の霜にして...

「七十は瓦上の霜にして、八十は風前の灯なり」

七十歳という年齢は、瓦の上の霜のようなもであります。

すぐに溶けてなくなります。

また、八十歳という年齢は、まさに風前の灯であり、いつ消えてもおかしくありません。

人は、死ぬ前にやるべきことをきちんとやってから死ぬべきであるという教えです。

つまり、自分が築いた財産等は自分が死ぬ前に分け与えることが重要であるということです。

客家の人々は、自分が死ぬ前に、自分の財産を分配しますが、多くの日本人は、死ぬまで自分の財産を抱え込む人が多いようです。

死んでは、財産を使うことはできません。

自分が死ぬ前に、子供や孫に分け与えることで、財産を有効活用できるというものです。

自分の死を考える年齢になったら、自分の財産を子孫に分配する必要があることを良く考える必要があります。

もっとも、相続するほどの遺産があればの話ですが。。。

2011年11月21日月曜日

客家の教え 富は足るを知るに...

「富は足るを知るにあり、貴は退くを求めるにあり」

富を得ることは足るを知るためにあるのだと思います。

足るを知るとは、満足することを覚えるということです。

人間の欲望は尽きることがありません。

どんなに多くの富や名声を得ても満足しない人がほとんどです。

しかし、富や名声を追い求めすぎると、周囲の恨みや妬みを買い、追い落とされる危険性が高くなります。

足るを知れば、必要以上の富や名声を求めることなく、幸せに暮らすことが出来ます。

このことから、貴い行動とは、綺麗な引き際を求めることだといえます。

足るを知り、満足したら、後進に道を譲るため、自分は身を引くことが重要です。

自分が身を引くことで恨みや妬みを買うことなく、富や名声も失わず、尊敬の念を持たれることになります。

人の幸せとは、富や名声を得ることではなく、自分自身が幸せだと感じ続けられることだと思います。

富は足るを知るにあり、貴は退くを求めるにありとは大変すばらしい教えだと思いました。

2011年11月18日金曜日

客家の教え 人は名の出るを恐れ...

「人は名の出るを恐れ、豚は太るを恐れよ」

養豚場で飼われている豚は太って目立つものから屠殺されていきます。

人も有名になり目立つようになると叩かれるようになります。

日本でも出る杭は打たれるといわれるように、目立つ人は攻撃の的にされやすいものです。

ビジネスに成功しても、周りから攻撃されるように目立った行動は慎んだ方が無難です。

ビジネスで成功を収めて、人生でも成功を収める人は、周りからは目立たない、謙虚な人なのかもしれません。

2011年11月16日水曜日

客家の教え 狼多くして...

「狼多くして人を食い、人多くして狼を食う」

多くの場合、食うか食われるかを分けるのは数であります。

数の多い方が食い、数の少ない方が食われてしまうということです。

この教えの解釈は色々できると思いますが、私は日頃の人との付き合い方が重要だと説いていると考えます。

つまり、雌雄を決するような重要な決断をする場合、味方が多い方が勝ち、味方が少ない方が負けるのだと思います。

この味方は日頃の自分の行動や振る舞いで増えたり、減ったりするのではないでしょうか?

常日頃から自分を律して、自分に厳しく他人に優しい人は、周囲の信頼も厚く、尊敬できるので、いざというときの味方になってくれるのだと思います。

一方、常日頃から自分の能力を鼻にかけ、自慢しているような人や口先ばかりで実行できないような人は評価を下げ、いざというときに味方になってくれる人が少ないのではないでしょうか?

いざというときの友が真の友と言われるように、日頃から自分を律して信頼関係を築いていきたいと思います。

2011年11月14日月曜日

客家の教え 理は声の高きところに...

「理は声の高きところに在らざるなり」

多くの場合、議論している場で大声を張り上げている方に非があるようです。

つまり、自分の非を隠すために大声で相手を威嚇することが多いからです。

この教えは必ずしも合っているようには思えませんが、議論の場で冷静に対応している人と感情のみで非論理的な主張する人を見比べると、冷静な人の方に理があるような気がします。

人は感極まってくるとどうしても感情的になってしまいます。

しかし、感情に流されると冷静な判断が出来なくなり、間違った考え方でも、自分が正しいと錯覚しがちです。

議論の場においては、自分を客観的に観察できる冷静さが重要だと思います。

常に自分の主張は誤っていないか、相手の主張に対して、今の自分の考え方意外に考え方はないのかと自問し続ける客観性です。

自分の考えに信念を持っている人は信念と頑固さを間違い、自分の過ちを指摘されても受け入れられない場合があります。

しかし、他人から間違いを指摘されたときに、客観的に自分が間違っているのか、指摘した人が間違っているのか判断する必要があります。

もし、自分が間違っているなら、素直に謝罪し、自分の考え方を改める必要があると思います。

この自分の考えを改めるということは信念を曲げることではなく、自分の信念を改良改善していると考えるべきだと思います。

自分の信念を貫きつつ、自分の間違いを認めていくことは非常に困難ではありますが、人生を有意義に生きていくためには必要な資質だと思います。

2011年11月11日金曜日

客家の教え にわかに富むも...

 「にわかに富むも家を造るなかれ、にわかに窮すも粥を食すなかれ」

急に金回りが良くなって豊かになっても、すぐに家など建ててはいけません。いつ何時、何が起こるかわからないので、まずは蓄えて様子を見た方が良いということです。

さらに、急に貧しくなったとしても、貧乏くさい食事をしてはいけません。

貧乏くさい行動をしていると、周りの人も離れていき、さらに金回りが悪くなってしまうからです。

人は富めるときも窮するときも慎重に考え、行動する必要があります。

その時の行動次第で、富を一瞬にして失うこともあれば、貧乏になったときに貧乏に追い打ちをかけるようなことになってしまいます。

その時々の状態を良く観察して、時には見栄を張って無理をした方が良い結果を生み出すこともあるのです。

急な環境の変化は他人を変えてしまいがちですが、そのような時程自分の行動を見直す必要があります。

2011年11月9日水曜日

客家の教え 行を隔つるは...

 「行を隔つるは山を隔つるがごとし」

隣の部署の仕事内容は、山を隔てた隣町の様子と同じくらいわからないものであります。

仕事が違えば、その内容は部外者にはわからないので、むやみやたらと他部署の人を批評してはいけませんという戒めです。

この教えは中国の組織統制に関する話に良く出てきます。

他人の仕事に口出しすべきではなく、己の仕事のみに精を出しなさいという教えです。

ある意味この教えは当たっていますが、間違った解釈をすると極端なセクショナリズムを生み出してしまいます。

つまり、縦割り組織と呼ばれ、隣の部署の人の仕事に全く興味を持たず、自分の部署が良ければ、他の部署などどうでも良いという組織です。

現在の日本政府の組織がまさにこの典型ではないでしょうか?

他人の仕事に口出しばかりして、自分の仕事を疎かにするようでは問題外ですが、自分の次ごとに関連する他部署の仕事内容や進捗に目を配るのは大変重要なことです。

さまざまの教えには表裏があり、ある一面ばかりを強調することが多いと思います。

しかし、人生やビジネスを成功に導くためには教えに隠された裏の面まで考慮して、バランスよく実行することが重要なのだと思います。

2011年11月7日月曜日

客家の教え 兎は巣穴のまわりの...

 「兎は巣穴のまわりの草を食べず」

いざというとき、自分を守ってくれるのは、近くにあるもの、いる人です。

だから、近くにあるもの、いる人を大事にしなさいということです。

日本の諺にも、「遠い親戚より、近くの他人」というものがあります。

いざというとき頼りになるのは、遠くに住んでいる親戚より、近くに住んでいる他人であるということです。

身近にいる人や、身近にあるものは、あまりにも近すぎて、そのありがたみがわからなくなることがあります。

しかし、いざというとき、そのありがたみを感じるわけですが、日頃、そのような身近な人、物を大事にしていないと、自分を助けてくれないということです。

本当に困ったときに、助けてもらえるか、否かは、日頃、自分がどのような態度で接してきたかにかかってきます。

自分の周りにいる身近な人や物を再度見直して、日々感謝しているか確認してみる必要があると思います。

2011年11月4日金曜日

客家の教え 人の善きは...

 「人の善きは人に欺かれ、馬の善きは人に乗られる」

いわゆるお人好しと呼ばれるような人の好い人は、他人に騙されて、他人に使われます。また、能力の高い人も場合によっては、その能力を他人に利用されやすいものであります。

逆に言うと、自分が成功したいなら、他人をうまく使いこなすことが重要であります。

お人好しを騙して利用するのは、行き過ぎだと思いますが、能力は平凡でも素直で人の言うことを良く聞く人には、その人に合った仕事を与え、その人の能力以上のものを引き出すことが重要です。

また、自分にない能力あるいは自分より優れた能力を有する人を使いこなすことが成功の秘訣だと思います。

自分が全てに長けて、部下に全ての指示を与えられるようなカリスマ上司なら別ですが、一般的には、そのまで優れた人は稀有です。

また、そのような上司でも、優れた有能な部下をうまく利用した方が、仕事の効率は上がるうえ、後進を育てることにもなり、一石二鳥と言えます。

どんなに優秀な人でも、人ひとりでできることは、限られています。

集団に力をうまく利用できれば、自分一人ではできないような大きな仕事をやり遂げることが出来ます。

個々の能力は平凡でも、優秀なリーダーが集団を率いることにより、優秀な集団に仕上げることは可能だと思います。

組織におけるマネージャーの仕事とは、上述のような仕事なのだと思います。

今はちっぽけな会社ですが、いつか集団を率いて大きな仕事ができるようになりたいと思います。

2011年11月2日水曜日

客家の教え 笑いは顔より離れざるも...

「笑いは顔より離れざるも、心の内に刀を蔵す」

この教えも客家ならではの、人を疑ってかかる教えです。

人は顔で笑っていても、腹の底ではとんでもなことを考えていることがあります。

通常、人を騙すことがうまい人は、如何にも人を騙しますというような顔付はしていません。

むしろ、この人が人を騙すのかと疑いたくなるほど優しい顔をしていたりします。

人はぱっと見では判断できないという教えです。

客家の教えでは、まず人は疑ってかかれという教えが多いです。

これは、客家の置かれた環境が、周囲が敵ばかりで、少しでも油断すると、自分の生命が危ぶまれるような環境だったからです。

しかし、客家の教えでは、一度その人が信用できる人だとわかったら、自分の命を投げ打ってでも守ってくれる強いつながりが出来ます。

人を信じてばかりでは、人生、ビジネスはうまくいきませんが、人を疑ってばかりでもうまくいきません。

難しいことですが、信じてよい人と、信じてはいけない人を見分ける目を養い、信じられる人を見つけられたら、お互いのために全力を尽くせるようになることが重要なのだと思います。

まずは、いろんな人と付き合って、自分の人を見る目を養っていきたいと思います。

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