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2011年6月27日月曜日

薩摩いろは歌 え

「回向には人と我とをへだつなよ看経はよししてもせずとも」

「死者の供養は敵味方をわけ隔てるな。読経はしても、しなくても良い。」

回向(えこう)とは、死者の仏事供養を行うことです。また、看経(かんきん)は読経、つまりお経を読むことです。

ここでは、戦いで亡くなった兵士の供養は、敵味方の分け隔てなく、きちんと行いなさいと言っています。そのとき、読経するしないは問題ではありません。

死者に対しては、敵も味方も、尊い命が奪われたのだから、敬意をもって、仏事を行うのが、生き残った者の勤めであることを説いています。

戦いにおいては、意見の違いにより殺し合いをしても、死んでしまえば敵も味方もなく、同じ人の死として尊く弔う必要があります。

同様に、お互い戦った者同士でも、戦いが終われば同じ人間同士なのだから、理解しあえるはずであります。

世界では、今でも内戦や、テロが多発しています。戦争は、お互い大義名分のもとに行っています。双方が自分の正当性を主張しあいます。

そして、戦争という暴力のもとに人の尊い命が失われていくのです。戦争で家族を失った人は、敵を恨み、復讐をします。復讐されて家族を失った人は、また敵を恨み復讐し、負の連鎖が続きます。

結局戦争や復讐は、人を悲しませることにはなっても、問題を解決する手段にはならないのです。人は、皆頭の中では、それを理解しているのですが、いざ、身内を殺されると、とても冷静ではいられなくなるのだと思います。

でも、誰かがこの連鎖を断ち切れば、世界の平和は必ず訪れるのだと思います。その誰かは、現在争いをしている人の中に必ずいるはずです。そして、近い将来世界に平和を訪れると信じたいです。

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